来年就活する理系院生が「日本ヤバい」の経産省若手資料を読んだ感想

こんにちは。

ネットでバズった「経産省若手の提言」(リンク踏むとPDFに飛びます)見ましたか?

最近、Twitterをあんまりやっていないので、知らなかったのですが

はてなブックマークで知って、見ました。

見たら感想を書きたくていられなくなったので、書きます。

言われていることは新しくはないが...

提言の内容を簡単に言ってしまえば、

  • 政府の財源の使い道を「高齢者から若者・現役世代」に移す
  • 「新卒採用で正社員になって定年まで働く」といった昭和的標準人生を前提とした価値観ではなく「多様な生き方がある」ことを前提とした価値観のもとで、すべての人を支えられる社会システムに変えていく必要がある。

だと思っています。(自分の語彙力、理解力だとこれが限界です。)

まぁ、これって昔から、どこかで聞いたことのある話ですよね。

なので、言っている事自体は新しくないです。

加えて、提言の中では具体的にどういう施策を行って、問題解決を図っていくのかが書かれているわけでもないです。

でも、年齢が20代の人間として、この提言が出たことは、うれしかった、というのが正しいのか分からないけど、非常にポジティブに捉えています。

言っていることは新しくないし、具体性もあまりないけど、「『日本ヤバい、どうにかしなきゃ』と真剣に思っている官僚がいること」自体が良かったです。

安倍政権の見解も聞きたい

でも、この構造改革を実行する(予算の使い方を変える)ことができるのは政治家であり、政府です。

この数年が勝負」と提言の中でも言われているとおり、よく考える必要があるものの、緊急性もある課題だと思います。

現在、政権を担っている(そして、今後少なくとも数年は担うであろう)自民党安倍政権はどのように考えているのでしょうか。

自分の調べ不足かもしれませんが、出てきませんでした。

誰も聞いていないのでしょうか?

内容の善し悪しは色々ありますが、安倍政権の実行力には期待しているので、ぜひ見解を聞きたいです。

俺はどうする?

2017年現在、新卒一括採用は行われているわけでありまして...

このまま、大学院に通えば、来年就活する予定です。

なので、今のところ(壊れそうな)昭和的標準人生のレールの上を(脱線しそうになりながらも)走っています

 

飲み会が何故苦手なのか?

どうも、孤独なみかんです。

4月頭のこの時期って、新入生歓迎会とか、新入生懇親会とか、そのような行事が行われていますよね。

自分は、このような「懇親会系」が総じて苦手なのですが、何故苦手なのか、書いていきたいと思います。

苦手というか、「隅の方で1人でいること」が多いです。

「騒ぐ=正しい」とされる風潮

まず、これが苦手です。

飲み会で騒げる人間→「良い人間」

騒がない人間→「悪い人間」

と暗黙の了解が参加者の間で、なされているように感じてしまいます。

良く話す人こそ正しくて、話さない人間は必要ないとされているように感じます。

これは考えすぎなのですかね。

飲み会でよく話し、騒げる人間はすごいと思います。

あれは自然にやっていることなのか、それとも演技で頑張っているのか...

うるさい環境だと、聴力が低下する

そしてこれ。周りが騒々しい環境だと!人の話が耳に入ってこないんですよね。

何度も聞き返したりして、あまり会話が噛み合わないことが多いです。

もともとあまり他人と話したくないのもあり、会話が終わってしまいます。

うるさい環境に慣れてない

→人の話が聞こえず苦手意識が生じる

→うるさい環境に行かない

の悪循環に陥っている気がします。

そもそも、他人とあまり話をしたくない

これが一番かもしれない。

他の人への興味が無い、「他の人と話すこと」への興味が無いのだと思います。

ただし気が合う人、弱い部分が似ている人間とは話したいと思います。

それ以外の人と話すことがかなり苦手です。

隅で1人でいることに慣れてしまっている

こんな感じなので、「1人でいることが快適」なんですよね。

結果、1人で人間観察してることが多いです。

まとめ

この辺も考慮して、生き方考えれば良かった。いや、これから考えないと。

 

大学院に入学した。

どうも、孤独なみかんです。

新年度が始まり、大学院に入学しました。憂鬱です。

ぼっちが「学生」を延長するのは苦痛でしかない?

当然ですが、大学院生は「学生」です。

小中高大と、学校が嫌だった人間が、さらに2年延ばしてしまったことの後悔を今頃になって、とても感じます。

15年に及ぶ学生生活の中で、「研究室」は、特に居心地が悪いです。

研究が好きではない

研究、実験が好きではありません。そもそも文系志望でしたが、理系科目の方が成績が良かったこと、就職が良い(とのイメージ)から、現在の道に進んでしまいました。後悔しています。

これは、大学院へ入ったこととは関係がないのですが、進路を選ぶときは「自分の一番興味のある方向へ迷わず進む」のが良いと思います。大学のレベルは関係ありません。個人的に、その方が後悔が少ないと思います。

なら、何故大学院に入った? 

「学科内の8割以上のほぼ全員が大学院へ進むから」です。周りに流されてしまう、肝心な時に思考が停止してしまう自分を情けなく思います。

まとめ

「自分で選んだ道」ということで責任は感じていますが、やはりなかなか割り切れませんね〜。いろんな後悔を感じてしまいます。

コミュ障ぼっちへ告ぐ。就職のために理系に行くのはダメ、ゼッタイ。

こんにちは。@lonelymikan_です。

今日は、大学受験生だったあの頃の自分にアドバイスするように、書きたいと思います。

大学受験をする方は、高2か高3あたりでありますよね、進路選択。

文系と理系、どっちにする?

です。

自分は「理系」を選択し、その中でもいわゆる「実験系」と言われるところにいます。

研究室、つらいです。。。

今回は、「営業とかやりたくない」「就活大変そう」といって文系を避けて、就職のために理系を選択してしまった自分のような人間を二度と出さないために書きたいと思います。

就職のために理系に行くのはダメ、ゼッタイ。

興味があまり無いことは、やっぱりできないって。

一番は圧倒的にこれ。

座学で授業を受けている分には、我慢できます。

ペーパーテスト、という点においては、大学受験のときと変わらないですし。

ただ、研究室に入り、実際に研究を行うとなれば全く異なります。

1年間、あるテーマを遂行するためにもがき続けなければならないのです。

これは興味があまり無い身からすると、想像以上にキツいです。

あと、研究が上手な人は、やっぱり興味があって意識の高い人です。

興味がない人間は、ペーパーテストが終わった瞬間、知識が飛んでいきます。

一方、興味がある人間は、知識が残ります。

この差は、研究室に入って、研究を進める段階になってかなり効いてきます。

研究室の「濃密な」人間関係

これもキツいです。今度別の記事で書きたいと思います。

そもそも理系の就活も大変そう。

今年から研究室に入って、就活している先輩を見ていました。

「就活余裕なのかな」と傍から見ていたのですが、そんなことはなさそう。

結構、大変そうでした。

研究室自体に「コネ」など持っていれば、別かもしれませんが。

そうでなければ、普通に競争は激しそうです。

 文系の方が道はたくさん有るかも(って思う。現実は知らない。)

文系が理系の研究・技術職に就くことはできない。

これは正しいと思います。(情報系は知らんが。)

でも、理系院卒が文系学部卒が受けるようなところに行って、採用してくれるのかなと疑問に思います。理系院卒のほうが選択肢は「広い」、とは感じていません。

文系の大学生の方が多いですよね。就職率も今年は高いですよね。

結局、決まるところに決まっているのだと思います。

文系のほうが時間がある分、

大学に入ってからも色んな道を探ることはできたのでは、と今思っています。

ただ、ここら辺は分かりません。文系じゃないし。文系の友達もいないし。

ぼっちだし。

まとめ

3回目ですけど、言います。

就職のために理系に行くのはダメ、ゼッタイ。

回避性人格障害かもしれない。(自己診断)

超久しぶりの更新です。

良ければ、Twitterフォローお願いします。 @lonelymikan_

最近、無気力なのです。

学業で進めなければならないことが出てきているんですが、もうちょっと何もしたくないです。(今週は逃げようかな)

ブログの書き方も忘れてしまいました。

適当にネットサーフィンしてたら、こんなものを見つけました。

回避性人格障害 克服と対策|名古屋聖心こころセラピー

この中の、診断テストを行ってみました。結果です。

 

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マジかああああああ。

この診断テストから読み解くに、回避性人格障害の特徴は3つに分けられると思います。

① 子供の頃の家庭環境

② 自己肯定感、自己評価の低さ

③ 他人への疑い深さ

やばい、すべて「強く」当てはまる。

そうですね、本音を吐く場所がどこにもないから、この誰も見ていないブログに書いているわけで。このテストは当たっている気がします。

ブログの締め方もわからないので、この辺で。さようならー。

 

 

 

意識高い系と意識が高い人の差

意識が高いことは、良いことだ。

TOEICTOEFL、留学、インターン

就活、セミナー、学生団体…

まず「意識が高いこと」自体は、良いことです。

積極的に活動することは良いことです。

 

意識高い系への「意識が高いこと」自体に対する批判は、

ただの意識低い人間の嫉妬だと思っています。

 

繰り返します、意識が高いことは良いことです。

意識低いぼっちとしては、「すごい」と思っています。

その上で…

 そう、「その上」で、

自分が出会った苦手な意識高い系の人たちの特徴を挙げていきます。

自分大好き人間

まず、これ。意識高い系の人は、自分大好き人間だと思います。

よくあるのは、TwitterFacebookへのアップですね。

TOEICで〇〇点でした!」「留学で〇〇にいます」とかなら

わかります、実際に「やった」ことだから。

ただ、「TOEICの参考書を買ってきました!」「留学支援センターに行ってきました」

とか、留学支援制度の談義なんかは、わりとどうでも良いです。

 

本当に意識が高い人は、他人へのアピールはあまりしない人が多いと感じます。

もちろん、聞かれたら、詳しく話してくれますが、

聞かないかぎり、あまりアピールはしないと思います。

 

もちろん、自分もブログを書くことで承認欲求を満たしていますよ。

その点については、同じです。

意識が低いやつを見下すか?

意識高い系は、意識が低い奴のことを見下します。

これが、一番嫌いな点です。

まず、意識高い系って、経済的に余裕があると思うんですよね。

バイトしないで研究室に長時間いたり、留学とかTOEICとか、できるという点で。

 

一見、「意識が低い」人にも経済的に苦しくて、バイト漬けを強いられているなど

「事情」があるかもしれないじゃないですか。

その辺の「事情」を考えない人がいます。

チーム戦での意識の高さの強要

実験・実習など、グループで作業を行ったりするときに

意識高い系がリーダーになると、つらいです。

グループで集まるために、日時を決めたりする際にも

休みの日や、朝早くから集まろうとします。

 

確かに可能です。可能ですが、

大学に5分で行ける人と、2時間かかる人ではその「つらさ」に違いがあると思います。

自分は、通学時間は長い方なので、これが嫌でした。

 

まとめ

意識高い系と意識高い人の差は

「他の人の立場に立てるか」

これに尽きるような感じがします。

 

 

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